2022/03/27

洋梨ブームの立役者となったラフランス
ラフランスに代表される洋梨は、いまや栗などとならぶ秋の味覚のひとつとして私たちの食生活のなかにすっかりとけこんでいます。けれど、この洋梨が日本で一般に消費されるようになったのは、意外にもつい最近のことだというのをご存知でしょうか。
ちなみに農水省の統計によると、洋梨の消費量は70年代までは年間1万5000トン程度で比較的平坦に推移していましたが、80年代になると一挙に1万トン以下にまで落ち込みました。しかし、90年代に入ると今度は一転して急上昇、それまでの約3倍の3万トンにまで跳ね上がったのです。なぜ跳ね上がったのかについては、この後述べますが、いずれにせよ洋梨の消費が急増したのはじつは90年代に入ってからのことで、いまからせいぜい20年ほど前のことにすぎないのです。逆にいえばそれ以前、日本において洋梨はそれほど一般的な果物ではなかったといえるでしょう。
年配の方なら覚えているかと思いますが、その昔、洋梨といえば缶詰が主流でした。いまのように生で食するということはほとんどありませんでしたし、ましてやお菓子の材料に使うなどという贅沢ができるような時代だったわけでもありません。そんなこともあって当時は、どちらかといえば養分補給のために子どもや病人に与えるといったケースのほうが一般的でした。その昔、洋梨はそれほど貴重で珍しいものだったのです。
技術革新が加速させた洋梨ブーム
ではなぜ90年代に入ってから急激に消費量が伸びたのでしょうか。そのおおきな理由は、「追熟」の技術が確立されたことにあります。もともと収穫したばかりの洋梨は実も固く、味もそっけないもので、そのままではとても食用に耐えるものではありません。そのため長い間、洋梨は生食には向かないとされ、もっぱら缶詰用としてのみ生産されてきたのです。
その一方、この洋梨を一定期間常温のまま保管しておくと果肉がやわらかくなり、糖度も増し、気品ある芳香を放つようになるということは以前から知られていました。しかし、問題はその「保管」の仕方です。どのくらいの温度で、どのくらいの期間、保管しておけばよいのかが、どうしてもわからなかったのです。というのもこの洋梨、熟成の温度と期間を間違うと一気に熟成が進んでしまい、あっというまに腐ってしまうからです。そのようなことから、洋梨を生食用として市場に出すのはむずかしいという状況が長い間つづいていました。
そんな状況に風穴をあけたのが地元の農業試験場です。長年の研究の末、この「保管」(追熟といいます)のための最適な条件を割り出すことに成功したのです。その結果、これまで缶詰用としてしか出荷されなかった洋梨が、生食用としても市場に出回るようになったのです。
流通網の整備も追い風に
また消費量がのびたもうひとつの理由として流通網の整備もあげられます。宅配便などのトラック輸送をはじめ新幹線や飛行機による輸送手段、さらに輸送中の温度管理システムなどが進歩したことによって、生産地から比較的遠い地域でも新鮮な洋梨を手に入れることができるようになったことは、洋梨の消費量を増大させる上でおおきな要因となったことは間違いないでしょう。
しかしながら、洋梨の消費量が伸びた理由ということでいえば、その最大の要因はやはりなんといっても「生食」の美味しさが見直されたためといえるでしょう。以前は、缶詰として甘い砂糖漬けシロップと一緒に食べるのが普通でしたが、それでは洋梨本来の魅力ともいえるあのとろけるような食感と気品ある芳香を十分に楽しむことができません。そこに当時の自然食志向、本物志向、高級志向なども加わったのでしょう、洋梨の一番美味しい食べ方はやはり生食にかぎるということがしだいに消費者の間にひろまっていったのではないかと考えられます。
遅れてきた洋風化の産物としての洋梨ブーム
日本人の食生活は、戦後、洋風化がおおきく進みましたが、果物にかぎればそれほど洋風化は進みませんでした。しいてあげれば、バナナとメロンくらいでしょうか。けれどバナナは西洋というよりむしろ南国のイメージですし、メロンにも高級感はあってもそれほど欧米的なイメージは感じられません。そうした中、ヨーロッパの貴婦人のイメージをまとい、満を持して登場したこのラフランスは戦前からつづく日本人の西洋文化への憧れをもっともよく体現した果物だったのでしょうか、またたくまに日本人の心をとりこにしてしまったようです。その意味でラフランスに代表される近年の洋梨ブームは、戦後日本の遅れてきた洋風化の産物であるともいえるのかもしれません。